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「祈る」
高野 時雄

新春を迎えお慶び申し上げます。
2006年を迎え、皆様方にはどの様な思いで新年を迎え、お過ごしになられたでしょうか。昨年は久々に景気回復の兆しが見えて来たといわれ、日本経済を支える中小企業も仕事量が増え、何とか年を越すことが出来たと、ホッと胸をなでおろすお父さんたちが多いと聞きます。このような中で、秋から年末にかけて事故や事件、凶悪な犯罪が立て続けて起きています。12月としては記録的な大寒波襲来に、65万戸というとてつもない大停電が発生、ライフラインが長時間に渡って完全ストップ、住民に打撃を与えた。更に猛吹雪と突風にあおられて特急列車が脱線転覆、尊い命が奪われ、悲しみの中の新年になってしまったご家族の方々、また、辛く悲しい犯罪も発生しました。子供が親を、大人が子供を、そして子供同士が殺害に走った事件、誰もが目を覆い、耳をふさぎたくなる凶悪犯罪もありました。なぜ起きるのだろう、過去にも類似事件は数多く発生しており、その度、悲しみと悔しさ、怒りを心に秘めて長年生きてこられた被害者の方々、おそらくその思いは生涯消えることはないでしょう。そして年明けて間もなく兵庫県で起きた火災、幼い児童5人が短い生涯を閉じたのです。何と悲惨な事故だろうか。誰にも止める事は出来なかったのだろうか。人間の力、その弱さを知らされる事故である。
私たち新発田ルーテル教会の昨年一年は、特に目立った行事も組みませんでしたが、例年実施して来ている新潟地区行事との共催行事(墓前礼拝、伝道フォーラム、一日神学校)に合わせ、教会独自の教会バザー、バーベキューだべり会、クリスマスコンサートなど、更に歌いながら学ぶ「さんびアワー」を行って来る中で、皆さんが人任せではなく「自分が出来ることを自分なりに前に向かって行動する」そんな思いで参加していただいたおかげで、一つひとつがほんとうにより良い行事になりました。主に感謝です。更に教会財政においても非常に厳しい状況にあった年末、皆さんの祈りが主に通じ、主の恵みが会員ひとり一人の上に注がれ、皆さんのご理解を頂くことが出来ました。感謝です。
ひとり子を我らの救い主として、この世界におつかわしくださった神さま、その神さまの愛を受けて迎え、過ごしたクリスマス期間も1月8日の顕現主日をもって終わり、15日の主日より主の洗礼を迎え、いよいよ主の伝道活動が始まります。このような中で私たちの教会も1月29日に会員総会を開催し、2005年の総括と新しい一年の教会運営と行事、予算、更に役員選出などを行います。大勢の会員の方々のご意見を頂き、より良い教会の運営を行っていきたいと考えております。お忙しいとは思いますが、「教会は主を信じる者一人ひとりが集うて造るもの」という原点に帰って、キリスト者として、どう教会に関わって行くか、何が自分として出来るか等、ご意見を頂ければと考えております。
今年も「祈りあえる教会」に目を向けて行けたらと思っております。ある神学者が「祈りは信仰者の呼吸である」と記した本を読んだことがあります。その本には、信仰が生活の中に取り入れられ生活化されて行くことは大切です。と付け加えられており、信仰生活には、言葉や行動を支える呼吸として「祈り」は欠かすことは出来ない、ときっぱり言い切っております。
私たちの祈りはどうでしょうか?病める時、苦しみにある時、悲しみの時に、癒しを願い解決を願うだけの祈りにとどまっていないだろうか。私自身そういう傾向にあるような気がします。祈りにはもっと違った祈りも有ることを忘れないようにして頂きたい。まず大切なのは自分だけではなく、他者のために祈るということです(隣人愛)。他者のために祈ることは簡単なことのようで難しい。特に自分に反する者、害をおよぼす者に対し祈ることは、許しの心がなければ祈られません。病にある者、悲しみ、苦しみにある者に対する祈りは、自分がその立場になって祈ることなのです。皆さんはどうでしょう?神様にむかって打ち明け話しはしませんか?つぶやきをぶっつけませんか?ヨブのように神さまに激しくつめよって抗議する祈り(ヨブ記29〜31章)もあります。また感きわまって感謝の喜びを叫ぶ祈りも有ります。そんな時、誰もいない部屋で声を出して祈ってみてはいかがでしょう。呼びかけ、語りかけ、叫びとなる祈り、呼べば応えてくださる神さまとの対話、これが深まり、熱し、体ごとの交わりが出来ると言われます。そして祈った後心に沸く熱いものが感じられるのです。
先に記載したように「なぜ起きるのだろう」と悩んでしまう出来事に対し日々祈りを続け、時にはつぶやき、たずね、呼びかけ、神さまに「なぜ」を連呼してしまいますが、祈った後、心に何かを感じることをおぼえます。それは神さまが私に祈る事を許して下さっているという安らぎかも知れません。使徒パウロは言います。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケ第一、5章16〜18節)喜び、祈り、感謝することは、神さまの喜びとするところです。と使徒パウロは言うのです。私たちもこの一年の旅(信仰生活の歩み)を祈りで始まり、祈りで終える歩みにしたいものです。共に歩みましょう。
アーメン
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