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教団総会に出席して
高野 時雄

去る5月3〜4日に渡って、私たち日本ルーテル教団の総会が東京市ヶ谷のホテルに於いて開催されました。教団総会は3年に一度開催されますが今回で13回になります。今回の総会で提示されました「今後3年間の宣教に関する案」の中で、宣教主題として
『タラントが生かされる教会へ』
―五つのパンと二匹の魚を主にささげよう―
ヨハネ福音書6章1節〜13節
が提案され、この宣教主題を柱として今後3年間宣教活動を進めて行くことが採択されました。この基本方針は3年前の総会において採択され「教会が自立し、自らの足で神に従って歩む歩みをして行くことを目指し、宣教的歩みに力を注ぐ事を全教会が決意し3年間宣教活動を進めて来た」ものです。今回の総会で討議し再び同じ宣教主題を採択された背景には前期宣教主題として掲げたスローガンに添って、3年間宣教の歩みを続け、すでに手がけ、目指していることを更に推進し、持続可能な、あるいは継続し得る宣教体制の確立ということを目指して行くことが、今の教団の歩む道である、と考えたからであると教団執行部からの提案理由でした。正に今、各戸教会が必要とする宣教活動のポイントはここにあると考えます。その中で特に各教会信徒に求められるのが「信徒リーダー養成」であります。
この「信徒リーダー養成」も前回の総会で決議されており、その必要性は「信徒と教職がともに使命に生きる」事が益々強くなって来ているとされ、その切実さは私たちに突きつけられていると考えると言われております。総会議案書の「今後の宣教に関する提案」の中に、教職と信徒がより宣教的になるためには、信徒の継続的な信仰の養いの場を教職と信徒が一つになり考え設けて行くことが、改めて大切であり必要であるとされています。これまで行ってきた信徒研修やサマーキャンプ、そして伝道フォーラムなど、年一回あるいは、何年かに一回のような単発的なものでなく、月単位で、10年間という長期にわたっての継続性をもった信徒研修の場を設けて行くことからはじめる事が、今後のキリスト教伝道の大きな役割を示すものである事が議案の中に付け加えられています。
皆さんもご存知のように、牧師の減少は年々厳しい状況にあります。私たちの教団は宣教50年を迎えておりますが、当時牧師になられた先生方は既に定年引退されており、ここ3、4年の間に定年を迎えられた先生方は4、5人おり、今後も続くのです。逆に牧師になろうとする方が少ないために牧師減少に歯止めが掛からない状態です。
この様な状況にあって、主イエス・キリストを宣べ伝えて行く役割を担うのは信徒である私たちのほかにいないのです。以前外国から来られた宣教師の先生方や神学校を卒業した牧師先生が大勢いた時代は、私たちはお客様として教会に集っておりました。しかし今はお客ではなく自らが宣教の一役を担う者として信仰生活を送らなければならない時代に来ていることを理解して頂きたいのです。今回の総会では特にこの事について討議しており、教団として大きな問題を抱えている事を全信徒に知って頂き、宣教活動に取り組んでほしい、その為に6年間同じ宣教方針を提示し取り組みを推進しているのであると説明しておりました。教団総会の概要については、教団発行の「教会だより」6月号をお読み頂ければその内容が理解頂けると思います。
さて、この様に教団の宣教方針が決定し、これから3年間キリスト者としてどの様に信仰生活を進めて行くか考えて行かなければならないと考えます。皆さんも理解されていると思いますが、教会は信徒一人一人が集って形成されるもので、信徒が誰もいない教会は教会とは言えないのです。だから信徒が中心になって集い活動する集団が教会であって、その教会の同じ教理を継承している同胞教会が集まって組織を整えているのが教団なのです。教会運営は教団が中心で行うものでなくあくまでも各個教会が独立(自立)し、主イエス・キリストを宣べ伝えて行くものです。もちろん主イエス・キリストを伝えて行くのですから、キリスト教の教理は理解しておかなければならないかと思いますが、その学び得た教理を蔵にしまっておいては何の役にもたたないのです。例えば聖書研究で学んだこと、礼拝で学んだこと、独自に学んだことを何らかの機会に伝えて行くことが大切なのです。もし、そのままにして置いてしまったとしたらそれこそ単なる宝の持ち腐れにすぎません。
お陰さまで私たちの新発田教会では「燈心」や「真理」の様に定められた月に発行する機関紙があり、信徒の方々が自由に投稿し、信徒の方々の手で編集を行っています。更に月に一度新津教会に出向いて奨励を行う機会も与えられています。これは過去になかったことであり、継続して行えることは教会の活性に結びついて行けるものと考えます。先月の新津教会の奨励は初めて女性(五十嵐姉)が登場、新津の信徒の皆さんの喜びと感謝が肌にビンビンと伝わって来ました。私たちは何も立派な事をしようとして教会に来ているのではないでしょう。わずかな知識を使って何が出来るか考え、必要とされる事を自分の出来る範囲で行う、それが神様から与えられた使命なのです。神様は「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と11人の弟子(使徒)にお話になられたのです。その神様の福音が私たちに今も語られているのです。
ここ半月以内に悲惨な事件が立て続けて起きています。東京板橋区の両親殺害事件、兄の暴力に耐えかねて逆上し兄を殺害した弟、高校の学び舎で「いじめ」に耐え切れず学友に刃物で襲いかかり負傷を負わせた気弱い生徒、どの事件も殺意を持って引き起こしているが、本人達は加害者であって被害者なのです。ほとんどが孤独に落ちいっての犯行であるとされています。もし誰か本人達の心の支えになる人がそばにいたならば、本人達の心の悩み事を聞いてあげられる信頼されている人がいたならば、これらの事件は起きなかったろうと事件記事の解説者は言っておりました。悩みを抱えている友達、学友、家族、何も話してくれない会社の先輩、同僚、そのような人が身近にいるかもしれません。いつでも心の支えになる事が出来る、それらを自然に行えるのがキリスト者であると思います。悩み苦しみに耐えかねている人、その人の助けを願うサインはなかなか読み取れない面もありますが、普段と違った振る舞い、言葉、行動でキャッチ出来るかと思います。もしその様な事に出会ったら祈ってあげ、心の支えになってあげることが主イエス・キリストが言う隣人愛なのです。その行いが今私たちに求められているのではないでしょうか。何も大胆な事をすることを強調しているのではありません。私たちは与えられたものを隣の方に与えて行けば良いのです。必要とする方がいつか現れます。その時力を奮って語る、それが私たちキリスト者に与えられた特権であり、神様から与えられる恵みなのです。
今年も半年が過ぎようとしております。残る半年を大切に自分に何が出来るか考え主の喜びのうちに信仰生活を送りたいものです。アーメン
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