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神の愛に生きる
高野 時雄

人は、大なり小なり悩みを抱えて生きていると言われております。その悩みも簡単に解決できるものから深刻に悩むものまで色々です。悩みの中には仕事の悩み、金銭的な悩み、物質的な悩みなどさまざまあります。これらの悩みに付きまとうのが人と人のつながりです。特に人間関係の悩みは奥が深いのです。悩み始めるとどうにもならなくて、どうしたら良いか気が変になってしまうと言われます。そんな悩みを抱えた時、誰か話しを聞いてくれる人、話に乗ってくれる人が側にいたらと思うことがあるでしょう。周囲には大勢人はいるが、真剣に話しを聞いてくれる人は少ないのです。いや本当に心から考えてくれる人はその内ほんのわずかです。そのわずかの人が自分の近くにいるとしたら、これほど心強いことはないでしょう。皆さんはいかがですか?心から自分の悩みを打ち明けて相談にのっていただく方が周囲におりますか?
家庭、学校、職場、人の集まる所では必ず起きる悩み、それが人間関係の悩みなのです。人と人の間で起きるぎくしゃくした関係、わだかまりの中から起きる悩みは、せっかく楽しい家庭、学校、職場の生活を一転してつまらなくし、暗くしてしまいます。
私たち人間は辛い時、悩む時その場から逃げたくなります。辛いことが重なると早くその事が通り過ぎてくれないかと、時間とにらめっこしたくなることも有ります。社会生活の人間関係から逃避してしまうと言うことは、その逃避の場を今度は探し求めなければなりません。ですからまた悩みが増えるのです。だんだん人間不信に陥り、人を避けるようになります。よく社会生活に疲れて宗教団体に救いを求めていらっしゃる方がおります。私たちキリスト教会にもいらっしゃいます。しかし教会といえども生身の人間の集合体ですからいろいろあります。人間関係は非常に難しいものでどこの世界にも悩みはあるのです。私たちは人間関係を求めて教会に来ているのではないでしょう。聖書を読み、聖書のお話を聞き、賛美歌を歌い、祈ることを求めて教会に足を運ぶのですから、社会生活から逃避して教会に来て、もし人間関係につまずいたら、今度はどこに行きますか?はっきり言って行くところはないでしょう。教会でつまずきそうになったらまず神様の前に静かに立ち、自分に問うてみることです。自分が他の人からどんな評価を受けているのかを気にしていないだろうか、自分の言動が他の人の裁きになっていないだろうか、いつも自分中心に考え行動していないだろうか。そして祈ることです。「私の罪をおゆるしください」と。社会生活でも信仰生活においても必ず明るさが見出せると思います。
悩みを聞いてくれる人がいない人、神様に向かいあってみて下さい。神様に話しかけてみて下さい。誰もいない部屋で思いきり自分の思いを心の底からさらけ出して見て下さい。神様は必ず必要なものを示して下さいます。主イエスキリストを通して真剣に問う(祈る)ならば、必ずその道は開かれると言われます。人間関係がうまく行かないから教会を遠ざかると言う人がおりますが、それは逆です。人間関係がうまく行かない原因を他人に押し付けているだけではないでしょうか。自分は何故逃避しなければならないのか、自分自身に問いかけてみることも必要です。教会生活では人間関係に破綻をもたらすことは罪とされます。あるキリスト教解説書に「十字架の福音は和解の福音」と書かれておりました。信仰生活の中で大切なのは互いに理解しあうことで、相手の話を聞いてあげられる余裕を常に心に持つことであると言われております。
教会生活とは、私たちの罪を負うてご自分の命を十字架に捨ててくださったキリストの愛、その十字架の愛にすべてをゆだねて生きると言うことであり、十字架の愛によって「互いに愛し合え」と言われる主のいましめをしっかり守ることにあるのです。
使徒パウロはコリントの信徒への手紙12章12節〜13節で「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり一つの霊によって、私たちはユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」ここで使徒パウロは、神様から御霊をのませていただいたと言われております。私たちが自分本位の考えや力でのんだのではありません。これは神様の愛、それも「十字架の愛」による導きによっていただけたのです。その一つの体である教会で争うことは神様がお許しになるはずがありません。
私たちの教会も1月に会員総会を開催、行事計画、予算、新役員選出と決めさせていただき、新年度をスタートいたしました。決して楽な道程ではありませんが、人と人のつながりを大切に神様の前に立って行きたいと思います。苦しく大変な時こそ人間関係の「和」が求められるのです。思いを主にゆだね1年を歩んでいきたい。
アーメン