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実りの秋

高野 時雄

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冬は静かな時を過ごし、春に土を耕し種を播き、夏に水や肥料を与え、秋に実りの時を迎える。これは農作物などの収穫を得る過程であるが、この過程を参考にし、私達の信仰生活のあり方について話されることがある。

 それは冬静かにクリスマスを迎え、心に貴重な恵み(み言葉)を充電、春の復活祭に大勢の方にみ言葉の種が播かれ、夏の間教会の様々な伝道活動を通して播かれた恵みが育って行き、秋に実り(一人一人の信仰が成長する)の時期を迎えることである。もちろん一年を通して一人一人の上に主の恵みは注がれており、その恵みによって生かされていることは言うまでもないのですが、伝道を考える観点からキリスト者として、一年をこのようなプロセス(過程)を組み合わせ信仰生活を送ることによって、自らの成長と教会での活動がより活発に出来るのであると言われます。

 この様なものの考えに立って、私達教会の活動に照らし合わせて見ますと、主日礼拝を通してみ言葉が伝えられ、聖書研究や各所で行われる「聖書の学び」更に「真理」や「燈心」と言った機関紙によって信仰の力が増し加わる、そしてアドベント(待降節第一主日)、クリスマス、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)、宗教改革記念日など年間を通して行われる教会行事、又、今年行われた榊原先生を招いての伝道集会や恒例になっている教会バザー、交わりを主体とした親睦バーベキューなどの行事や集会は、播かれた恵みが成長する(実る)過程である。この他にVYMによる英会話教室、新潟地区の様々な行事などを考えますと、「土地を整え、種を播く、水を加えて育て、収穫(実る)を待つ」に結びつく集会や伝道活動はかなり多く行われていることになる。これらの集会や行事にすべて参加することは難しいと思いますが、何を優先にと考えるならば当然「主日礼拝」であることは言うまでもない。「礼拝のないキリスト教信仰は信仰ではない」と言う方もあるくらい、「礼拝」はキリスト者にとって「命」である。その「命の泉」を戴くために、素直な気持ちで神の前に立ち、あるがままの姿で神に祈り(神との対話)主のみ言葉に耳を傾け、更に自分のすべてを神に「委ねる」場、そこが礼拝であり、神と出会い罪を赦していただく喜び、その実感が与えられるのも礼拝なのです。

 そして主から戴く恵み(み言葉)は詩編119編105節にあります「あなたのみ言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」なのです。ある聖書解説者はこの箇所を「我々が、なお同じ道を歩むことが出来るように備えてくださる光であり、杖である」と解説しております。信仰こそ旅路を導く杖と歌われる賛美歌270番を思い出します。

 キリスト者の一日のスタートはみ言葉に聞き、祈ることであると言われます。身近な所に聖書をお気親しむ生活、それは私達信仰者の良き姿ではないでしょうか。誘惑に陥らず主の示す路を歩んで行ける。これこそが主の恵みであり救いなのです。どんなに辛く厳しい路でも、主に感謝しつつ共に歩んで行きましょう。

アーメン

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