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この日を忘れない
松田 洋子

十月三一日(金)聖研 詩編64編
この日の士反先生のお話の中に、言葉通り正確には言えないけれど『今の私自身をもっと成長させたい。十月は、軽井沢、東京と続けてだったので行くのどうしようかと迷ったけれど、行ってきて動いた意味があった。それはかならず次につながっていくから…』みたいなお話でした。
牧師さんってもうご自分の人間形成はとっくに完了されていて、だからこそ未熟な私達にメッセージを与えて下さっている、と思っていた私は士反先生のそうした言葉を聞いたとき思わず『先生すごく共感できます』と言ってしまいました。そして口には出さなかったけれど士反先生を信じてついてきてよかった!やっぱり素晴らしい方だったと思っていました。なぜなら、話はさかのぼりますが、私は長いこと心の中は聖書の言葉や思いでふくらんでいたものの、生活の中で生かすことが出来ず、実際の人生と信仰の人生の二つの中でもんもんとしていた40代の私がいました。
そしてある日をさかいに夫婦の関係が介護する側される側の関係になり、お互いの人生が病気という2文字ですっかり塗りかえられてしまいました。
そんな中で6年前士反先生と出逢い、聖書の38年間池のほとりで何もしないで人をあてにしている病人の話から、自分の足で立つことを気づかせていただき、その日以来、情と愛の世界の中を行ったり来たりしつつ、愛とは?が私の大きなテーマになりました。
だめもとでまずやってみよう。行ってみよう。とにかく出来ることからはじめてみよう。おろおろしながら神様に信頼をおいて友の手を時としてかりながら歩き始めた私でした。
病気の主人と日々向き合いながら、私がまず普通に生き生きと生きてみよう。あなたのために私の人生が狂ったと言う心の負担だけはかけたくない。むしろそのお陰で私は生きる意味を知ることができたし、自立した人間になれるかもしれないんだ。そこを私の中心事にしてまた大切にして、人がどう思おうが私が決めて取りかかる人生だわ…と。そんな思いの中で少しずつ足を使い動き始めていました。
出来ないと思い込んでいたのは、勝手な自分の思い込みでやってみたら出来た!そんな繰り返しをしながら進んでいったらだんだん愛の世界が見えてきました。
不思議とひとつの行動が次につながっていきます。人との出逢いがあってまた楽しみが広がっていきます。 それと同時進行で家を解放しました。大切な友人夫婦を私達のような夫婦にしたくなかったから、目で見てほしかったのです。士反先生のおっしゃる『レフ・レ・ハー』が見事、生活につながってきました。
前から信仰が生活の中に生かされたらどんなにステキだろうと、長いことそこの所が自分の物にならず苦しんできた私でした。そして実践の積み重ねをしていくことで大きく変えられてきた自分を思うとき、人は人生が終わるまで変わっていかなければ…それこそ育っていくことだと思ったのです。
そしてあの日、士反先生から自分は成長したい、そのためには動くことだと言う謙虚な言葉を耳にしたとき、ガチャンと音がして『かみあった』という実感がありました。
尊敬している方からの言葉だったからこそ響いたのだと思います。本当に嬉しかったです。
私にとって大きな確認のときでした。
私はこの日を忘れないでしょう。だって神様から『それでよかったんだよ』って言われたようなものでしたから…。
