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ある日の礼拝で

松田 康子

その日の説教は「天が裂ける」という題でした。先生は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉で神さまが示されたイエス様についてイザヤ書の53章を読んで下さいました。
 その箇所を読んだ時、イエス様は私たちの罪を担ってくださった方、与えてくださる方、支えてくださる方、誰にも理解されなくてもご自分の道を歩まれた方など、これまで聞いたり考えたりしてきた様々なばらばらのイエス様の姿のかけらと言うか知識が全部吹き飛んでしまいました。
 『乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った』とありました。『見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠しわたしたちは彼を軽蔑し、無視していた』ともありました。やっぱりイエス様は、本当の意味で謙虚に人として神さまの前に育ったんですね。聖書に書いてある以外に、実際のイエス様の容貌や生活を知る由も有りませんが、私達がそのような扱いを周りから受けたら、ブツブツ文句を言うか、いじけて卑屈になっているのが普通かなあと思います。実際に私もそんなふうに生きて来ました。だからとても心を打たれました。
 そしてイザヤ書には、イエス様が私たちの身代わりに苦しみを受けられて、そのお陰で私たちに平和が与えられたのに、私たちはその事に気づきもしないであさっての方向に勝手に走って行ったこと、それでもイエス様は何一つ文句を言うことなく、ただ私たちが負うはずの苦役を引き受けられたという姿が書かれていました。何てことだろう…。イエス様ごめんなさい。ありがとうと言う気持ちでいっぱいになりました。理屈であれこれ考える必要もなくて、これまで聞いてきた事は全部聖書にはっきり書かれていたんだなあ、と今更ながらすごく驚いてしまいました。
私の知らないところで、こんな風にイエス様が贖ってくださっていたんだ…、やっぱりすごい事だと思います。だから、やっぱり今生きよう!と思えるんだなあ、と本当に嬉しく感じました。難しい事はわからなくても、確信はなくても、今日嬉しいと感じたその気持ちを大事にしてやってみようと思います。

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