松田さんの証し                            燈心TOPページへ


特別伝道集会に参加して

松田 康子

昨年の伝道集会では、涙が止まらず、どこか人のいないところに行って号泣したいぐらいでした。講演後、バラさんに「私は愛されたかったんだと思った」というような事を言ったことを覚えています。

 あとで考えてみると「愛されたかったんだ」というのは「愛されていたんだ」という気づきと同じ意味だったと思います。裏を返すとそれまでは「洗礼は受けたけど今のような私では愛される資格がないのでは」というような疑いや不安が心の底にあったのだと思います。例えば、もっと主体的に自分らしく何かやって行きたいと思っても、同時に「そうしなければいけない」と義務的な感情の中に押し込められる気がして結局逆戻りしてしまっているような感覚になってしまう。そういう自分の中のジレンマも不安も、とにかく元をただせば、神様に愛されたいという思いからだったのだろうと自分なりに考えて妙に納得してしました。そして同時に、それまで何度も説教で聞いてきたように、わたしがどうであるかに関わらず神様はずっと一方的に愛して下さっていたという事は本当だったんだなあと感じました。だったら、私が勝手に「こんな私では・・・」といじけているのは馬鹿馬鹿しく思え、どうせなら神様の愛の中にすっぽり入ってその中で正直にやってみようとやっと心が決まった気がしました。

 そんな事を振り返りながら参加した今回の特別伝道集会。バラさんの話を聞きながら、自分の存在ってただの点≠ナはなくて、過去とも未来とも人ともずっとつながっているんだなあと感じました。赤ちゃんがお母さんに抱かれながら自分が存在していることを認識していくように、大人の私も神様の愛の中で自分という存在を感じられるようになっていくのではないかと思います。 聖書の世界や今のイスラエルとも私の理解なんかはるかに超えたところで、神様によってつなげられているのかもしれないなと漠然と思いました。
 また、個人の信仰は実は個人の中だけでは終わらないのではないかなとも感じました。それがどんなふうに現れてくるのかはまださっぱりわかりませんが、私側の理解とか思惑とかを超えた神様の流れの様なものが確かにあるのではないかと思いました。 私がイスラエルに行ったら何を感じるのだろう?いつか家族で行けたら良いなあと思います。
 超現実的思考回路で夢などみない私ですが、不思議とそれもあり得るぞと思っています。(まだ、ひそかに思っているだけではありますが)
 自分の中にある、本当に大切な思いや願いは神様の前で正直に思い続けていいのだと思います。
 神様がイエスによって、失われていた私を捜し出してくださったのだから、その自分の存在を素直に大切にしていきたいです。また、そういう自分の存在がいつか隣人という存在につながっていく事を信じて、神様の大きな流れの中に身をおいて自分らしい生き方を捜して行きたいと思います。

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