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6度目のイースター
松田 康子

私は5年前のイースターの日に洗礼を受けましたので、今年は6度目のイースターです。ですからこの時期になると、また新たにスタートラインに立つような感覚になります。ふとその当時の事を思い出したりもします。本当に若かったな〜!?と。今や二人の子供も幼稚園。子供たちは月日の分だけちゃんと成長していて、すごいなあと思ってしまいます。
さて、私はどうかな?と考えると、もちろん子供たちのように体や心が劇的な成長を遂げているなんてことはありません。何かががらりと変わったとか、聖書がよくわかるようになったとか、何かすごい発見をしたというわけでもないと思います。
今思うと洗礼を受けた当時、私の心の根底は「よし、これで清くされ生まれ変わったのだから、これからは汚れないように生きなければ」というような感覚があって、「早く先輩達のようにちゃんとしたクリスチャンにならなくちゃ」という意識が強くあったことに気づきます。説教や集会でも正解探しのように先生の話を聞いていて「分からなきゃ」とすごく背伸びをしていたと思います。
そういった勘違いや勝手な思い込みを、「これは違うぞ」「また、これも違った」と捨てることを繰り返しながら今に至る、というのが正直な感じです。そうやって体験的に私の目は周囲から自分へと向けさせられて来たように思います。
洗礼を受けてから向かい合わざるを得なくなった事は、どれもそれまで自分が避けてきた、苦手で厄介な事ばかりでした。自分らしくとか自分で決めて、という事は私の最も苦手な事でした。本当の自分とか本心とかが自分でも何だかよくわからないほど鈍くなっているということですよね。それだけ周囲の人や理想に合わせる事に終始してきたのだと思います。
そんな調子なので、たびたび見当違いの方向に突っ走っていたり、何だかズレていたりします。でも、やっぱり私の場合は実際に自分で体験してみなければ本当には気づけないようです。
ありがたいことにこの教会は、たとえ上手にできなくても自分で決めて自分自身でやってみる事をまず大事にして受け止めてくれる、そういう配慮がなされている貴重な場だと思うのです。せっかく恵まれた状況にあるのだから、是非思い切り開き直って、正直に生きたいなと感じます。
思い込みや勘違い、その他のいろいろな余分なものをできる限り捨てていくと、最後には素の自分がちゃんと残っていると思います。きっとそれは、昔自分が描いていた「理想的な良い人」とは随分違っているはずです。でも、そんな私こそ神様が「そのままでいいのだよ」とおっしゃる、ありのままの自分なのかな、と今は思っています。
と言うわけで、6度目のイースターを迎え、今の私のテーマは「やってみなくちゃわからない」です。いろいろ考えてみても分からない事は分からないでしょう。でも、無理やりこじつけて納得したり、分からないからと立ち止まっているよりは当たって砕けて感じてみようと思っています。
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