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YUKOのオルガン修行録
〜帰る場所〜

                                                     丸山 裕子

 私がまだ日本にいた頃は、各駅停車の列車でふらりと旅に出るのが好きでした。3月のまだ肌寒い土曜日、私は福島県にある野口英世博士の博物館を訪ねる旅をしていました。
博士の博物館は何度も訪れたことがあったので、特に何かを期待して訪れる旅ではありませんでした。重く暗い雲が立ち込め、冷たい雨が降る昼下がり、観光客らしい人もなく、館内は大変静かでした。博士の功績、諸研究の展示は、何度見ても博士の勤勉を強く訴えるものがありました。パソコンも電子メールも無かった当時、留学がどれだけ大変なことであったかは、想像につきません。 
館内を巡り歩き、私は博士の生家の前に立ち止まりました。博士が幼い頃に落ちて火傷を負った囲炉裏がありました。成人した博士が上京の際、柱に刻んだといわれる「志を得ざれば再びこの地を踏まず」という言葉がそのまま残されていました。それは博士の残された有名な言葉で、今まで何度も耳にする機会がありましたが、私はその言葉の前に釘づけになってしまい、人目がないのを幸いに涙を滝のように流すままにしていました。博士の言葉は痛いほどまでに、決断と勇気そして志の強さを示していました。
ルーサーセミナリーでの私の学びも残すところあと1年となりました。様々な場所で「日本に帰るのですか?」と質問されます。実のところ私自身は「帰る場所」にまったく心配していないのです。「帰る」というよりこれから「歩き進む道」が私の前にあるとしか思えないのです。野口英世博士の言葉をここでもう一度考えてみますと、私は博士が、「志を得たら故郷、または母国には帰るな」と言っておられないと思います。志を得たならばそれに向かって真っ直ぐに進みなさい。ということなのだと思います。
キリスト者である私達が帰る場所は神の御国です。私たちは帰る場所を心配する必要は無いような気がします。だからこそ神様の道をしっかり前を向いて、歩いて行けるのだと思います。
教会オルガニストになる、という志を立てて渡米し、6年になろうとしています。この志は、私が神の御国に入る時まで続くのだと思います。今の私に与えられていることは、帰る場所を心配する事ではなく、大手を振ってかっぽかっぽと神様の道を安心して歩いて行く事だと思います。
母国に帰る。故郷に帰る。家に帰る。そこには懐かしい風景や人々があり、暖かい団欒があります。「帰る」という言葉には心の底で眠っていたセピア色の時を揺さぶるような魅力を持っているような感じがします。でも私は「帰る」と言う言葉は自分の立てた志には使いたくありません。「帰る」という言葉を使う時は、神様の御国に帰る、その時だけだと思っています。

「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」博士の言葉と共に私の歩みはこれからも神様の御手の中にあり、そして残された1年間のルーサーでの学びをしっかり修めて行きたいと思います。




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