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YUKOのオルガン修行録
〜主が皆さんとともにおられるように〜
丸山 裕子
聖餐式で牧師先生から皆さんに呼びかけられ、そして皆さんが「またあなたとともに」と答えられる言葉です。「ともにおられるように。」今日はこの言葉について私の経験をお話したいと思います。
昨年夏から始まったセントオラフ大学での一年の学びを終えようとしています。波乱万丈で正直なところ学びをあきらめて日本帰国まで考えるような状況を克服しました。この一年間の辛い思い出、そしてやっと芽生え始めた楽しい思い出を得て、古巣のルーサーセミナリーに戻ります。
セントオラフ大学はルーサーセミナリーのあるセントポール市内より、90キロほど離れています。私は月曜日から金曜日の夜までセントオラフ大学のあるノースフィールドで過ごし、土曜の夜はセントポールに長距離バスで戻る生活をしていました。日曜日に教会でオルガンを弾かなければならないからです。土曜の夜はその教会の近所に住むセミナリーの同級生ベッキー・スワンソンさん宅で一夜の宿として泊まらせていただいていました。
ベッキーさんには二人の男の子がいます。アレックス君14歳とトマス君11歳です。二人ともなぜかのり巻き大好き、野菜炒め大好き、お刺身大好き、それを上手にお箸を使って食べるアメリカの男の子です。この一年間週末はいつもこの二人の男の子達と楽しい時間を過ごす事ができました。
ある日の日曜日の午後、私が礼拝奏楽を終えてセントオラフ大学へ戻るための長距離バスに乗ろうとしていた時のことです。トマス君が彼の大切なリスのぬいぐるみを手に私に近寄ってきました。
「Yuko、僕のリスを一緒に連れて行って!僕のリスがYukoといつも一緒にいるから、遠い大学へYukoが帰っても一人ぼっちにならないように!」
手のひらに乗るくらいの小さなぬいぐるみで、そのぬいぐるみは小さなカバンを持っていて中には小さなぬいぐるみ用の毛布が入っていました。長距離バスの中でリスのぬいぐるみを手のひらに乗せながら不覚にも泣いてしまいました。トマス君の気持ちがうれしかったのです。きっとトマス君は幼いながらも私がセントオラフ大学でいろいろな困難にぶつかっていたことを悟っていたのかもしれません。私が当時一人ぼっちで友達がいないと言うことをお母さんのベッキーさんから聞いていたのかもしれません。でもどんな励ましの言葉ややさしい言葉よりも、トマス君の言う、「いつも一緒にいるから」という言葉に私は大きく心を満たされました。
私が今日、ランチを食べているときも、紅茶で一息ついているときも、私のテーブルのはす向かいの椅子はからっぽでした。私は一人で食事をし、一人でお茶を楽しみました。一人は、一人。実際に神様が私の目の前の椅子に座っておられたとは言えません。それでは、目に見えないからイエス様は私と一緒にいなかったんだ、と断言できるでしょうか?
イエス様は私たちの心の中に、お祈りの中にともにおられるのだと思います。私たちが眠っている時にも、そして時には涙しているときにも、怒りの時にもイエス様はちゃんと私たちとともにおられるのだと思います。
「主が皆さんとともにおられるように」
神様が実際に目の前に存在するということよりも大切なのは「ともにおられる」ということのように感じています。「いつも一緒だよ。」トマス君の気持ちと同じで大切なのはいつも主イエス・キリストが私たちとともにおられる事だと思います。
聖餐式の式文の中では「主が皆さんとともにおられるように」に始まり、「また、あなたとともに」と答えます。それは、礼拝で集う時のみではなく、聖餐の食卓に並ぶ時だけでなく、「いつも」主イエス・キリストが私たちとともに、また、あなたたちとともにおられる、ということなのだと思います。
私の1年間のセントオラフ大学での学びも主とともに始まり主とともに終わろうとしています。そして再び始まる、ルーサーセミナリーでの学びの時もいつも主にあって感謝し、祈りをもって進めたいと思っています