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YUKOのオルガン修行録
〜神様、聞こえません〜
丸山 裕子
クリスマスも、お正月も飛び越えて、皆さん大変ご無沙汰致しました。
実は、昨年の秋から始まった、セントオラフ大学でのオルガンの学びにおいて、大変な困難にぶつかり、燈心で皆さんとお会いすることをしばらくの間、お休みさせていただいておりました。正直なところ、すべてをあきらめて、日本へ帰る航空券を探したりもしました。オルガンの友人達からの励ましの電話に、声をあげて泣いたりもしました。私が、初めて音楽が苦痛になった経験でした。
「神様、聞こえません」これは、Church Music Practicum(教会音楽演習) と言うクラスで、私が提出したエッセイの題です。
神学校で、または教会で、神様からの召しを受ける。と言う言葉を耳にすることが多いと思います。私の今の学びの中でも、God's calling と言う言葉を聞くことがたびたびあります。私も、神様の召しを受けて、オルガンを学んでいるのだと、ずっと思っていました。ところが、自分が大変困難に陥ったとき、自分が大変苦悩に満ちたとき、今までいつも聞こえていた神様の声が、ぱたりと聞こえなくなったのです。
これは、大変な恐怖でした。羅針盤を無くした船が海原を彷徨うがごとく、荒波に飲まれるばかりの毎日。神様の声が聞こえなくなると、自分の声ばかり聞こえるのです。「ここで、あきらめよう。」「私には、やはり才能がなかったのだ。」「日本へ帰ってしまえば、それでお仕舞い。」それは、騒音にも近いものがありました。その騒音に影響されてか、大学の音楽科の建物から聞こえるすべての音楽が私にはまるで、針が耳に突き刺さるような、苦痛感になっていました。
「音楽が苦痛になるなんて。私のすべてが、終わったのも同然。」絶望に満ちた日々が続きました。
私たちに呼びかけて下さる、神様からの召しの声は、大きくなったり小さくなったりするのでしょうか? いいえ、神様の声は、私たちが困難に陥った時こそ、大きくなっているのでは、ないでしょうか? 大切なことは、私たちがどれだけ神様の声をきちんと聞いているだろうか?と言うことだと思います。きちんと聞くと言うことは、たとえ困難の中にあっても、たとえ自分が騒音を作り出していても、神様の声を聞き分けることができると言うことだと思います。
神様の声は、神様から直接届くと言うこともあると思います。また、お祈りの中に神様の声を聞くこともあると思います。礼拝の中での牧師先生からのお説教の中に神様の声を聞くことがあります。礼拝に集う私たちの賛美歌の賛美の声の中に神様の声を聞くことがあります。友人や恩師のアドヴァイスの中に、励ましの中に、神様の声を聞くことがあります。神様の声は、いつも私たちの身近にあるのだと思います。でも、どうでしょうか?皆さんは、聞こえていますか?神様の声が、、、
Dr. John Ferguson フォーガソン教授(私がエッセイを提出した教授)から、頂いた、コメントをここに紹介したいと思います。(日本語に意訳しています)
「Yuko、あなたが、ここセントオラフ大学で、今大変な困難に陥っていても、神様は、あなたをここに呼び、あなたの学びのために、あなたをここに留めておきたいのです。」
私は、このフォーガソン教授の言葉の中に、神様の声を聞きました。自分で作り出していた騒音は、いつしか消え去り、神様の声を教授の言葉の中に、はっきりと聞くことができました。
皆さんは聞こえますか? 聞こえていますか? 神様の声が。