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心にもない……

五十嵐弘美

 
新しい年が明けるやいなや、交通事故に遭いました。  お正月を実家でのんびり過ごさせて頂いたので、1月10日は「初出」だったのです。が!、よりによって、出社して2時間足らず、会社を出て10分とたたないうちに、脇の道から出て来た車にぶつかりました。私は社長を助手席にのせていましたが、社長も私も、相手の人も、誰もけがせずに済みました。が、なんぼ前向き思考の私でも、さすがに落ち込みました。「誰もけがしなかったし、上手にぶつかった!」とか「こういう時は宝くじ買うといいよ」と社長や周りの人はなぐさめてくれますが(もちろん買いますよ)、ベッコリへこんでにレッカーで運ばれて行った愛車と、それにともなう経済的打撃を考えると、ため息ばかりが出ました。「なんちゅう年明けや……」と。
 そんなウルトラバッドタイミングに友人が私に手渡してくれた小冊子は「ツキを呼ぶ魔法の言葉」。思っていなくても、心はうらはらでも、「ツイてる」「感謝します」と口にせよというものです。今となってはその勇気ある友人に感謝しますが、私はこの手の本があまり好きではありません。なにもかもご存知の神さまの前で、心に思った瞬間にそれは知られていると分かってから、思ってもない事をとりつくろって言う事は、とても苦痛に感じてしまうのです。
 同じ理由で「祈る」ことがとても苦手です。さんびアワーの最後に、他者への祈りの時間がある時も、別に言葉にして「私はこんなに他人のことを考えています」と表明しなくても、心に留めた瞬間、神さまもご存知だし……という具合でした。
 しかし、今回はこのままほっておくと、「2度あることは……」になっては本当に困るので、おそるおそる、でもでっかい声で言ってみました。「萌ちゃん、ママはついてるよ!事故ったけどけがせえへんかったもんな〜」「ママついてるよ〜。社長さんいい人で、いろいろ心配してくれてさ〜」という具合に。そして結構効果があることを実感しました!(実は単純な人間でした)
 この小冊子にはあとがきに聖書の個所が引用されていました。「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。このことばは、はじめに神と共にあった。」という、ヨハネによる福音書のはじめの部分です。ここで言われている「ことば」は「文字」ではなかったはずです。口から出ることばそのものが、生きて人の人生に影響力を持つんだと、著者が感動した部分でした。人のこころは変わりやすく、不確かですが、口から出て私から離れた言葉そのものには、別の力があるような気がしてきました。
 私が無理やり、心にもないことを言った時も、それを聞いた私が一番喜んでいました。高野さんは本当によく祈られる方と聞いています。今号の原稿で、それは「求める」祈りではなく、語りかけたり問いつめたり、かなり熱い祈りである事がわかりました。「祈り」はやはり言葉として口から出した方がいいかもな〜と思いました。心にもない祈りも、無理やりの感謝も、口に出してみるべしと思っています。

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