五十嵐さんの証し                            燈心TOPページへ


ディスカッションを通して見えたこと

五十嵐弘美

 
「さんびアワー」がスタートして早や半年、最初は唄ってばかりで「一体目的は何なのか?」と思いながら、歌を歌うことは嫌いではないのでまめに参加していました。はじめて聞く軽快なリズムの賛美の歌はどれも新鮮です。最近「賛美アワー」は月に2回実施されるようになり、ディスカッションの時間もでき、様子が少し違って来ました。

 「何かテーマを考えて」と言われた時、「前から気になっていたけど、しまっておいた」ことが結構たくさんあることがわかりました。なにしろ日々は時間に追われてテレビの前に座る時間もありません。じっくり考えを整理して答えを導き出すなんて!その前に睡魔に負けて寝ているでしょう。初回に私が提示したのは「自分らしく生きることと好きなように生きることの違いとは?」というテーマでした。こんなことは別にクリスチャンの集まりでなくても話ができそうですが、意外とまじめにこんな話題を出すのは難しいものです。その日はジャン先生、ジム先生、それにVYMのトーブラー先生もおられたので、まず質問の真意を英語で説明しなくてはならないのが至難のわざでした。おかげでケンケンガクガクという具合にはいきませんでしたが、士反先生のお話で大事なポイントと思えるところは「意志してやっているか、否か」ということでした。諸般の事情から思ったとおりにならないのが人生ですが、それをよしとして「自分の意志で行うなら自分らしさが保てる」というものでした。気づかないうちに抑えて蓋をしたものが多くなって、その存在すら忘れてしまっている状態でも、今取り組んでいる事に、強いられてではなく取り組むことができればいいのか、と収めました。この多面性というか一種自分のごまかし方のような話はアメリカ人には通じないかな、と思っていましたが、日本語の堪能なトーブラー先生も、家にいる時と仕事中とでは、気持ちも発言も違うと言っておられたので、そのあたりは同じなんだなとホッとしました。

 「あなたにとって失敗とは」というテーマの日もありました。自分の番が回るまでに高速回転で考えた結果、「何をもって成功と思うか」が昔と違っているため、「失敗の人生なんてないな」と思っていることを発見しました。思う通りの進路は選べなかったけど、積み上げたチャチな経験はちっとも生かされていないけど、今を肯定できているのは成功のものさしが他人や世間ではないからでしょう。同席していた人の中にも同じような考えの人がいて「超前向き人間」と自称していましたが、自分もいつのまにかその部類に入っていることに、「昔は違ったな」とかなり驚きました。

 「年とったんやな」で済ますこともできますが、どんなテーマのディスカッションも、神様との関係の中で考えることは、何故かとても新鮮で、しかもすっきり考えやすかったのです。(今のところ)

このディスカッションをクリスチャンじゃない人が聞いたら、どう感じるのでしょうか?賛美アワーにはまだ神様と出会ってない人も来ますし、招きたいです。この気軽でまじめな集いは、どのような形で用いられていくのか、「賛美アワー」の今後はどうなるのか、ちょっと楽しみです。

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