伝道フォーラムさんかレポート 燈心TOPページへ
伝道フォーラムに参加して
その1
神田あち子

私は、奉仕の部会に参加しました。
全体として、教会によって抱える問題は様々であることや、個人によって教会との係わり方が違う事が良く分かって有意義でした。規模の小さな教会は礼拝を維持するための奉仕に関して悩みが発生し、規模が大きな教会になると、礼拝以外の、いわゆる教会活動に関する奉仕の悩みが発生して来るようでした。
今回、分科会で次の事が確認されました。@個人がテーマを持ち、それぞれに自分なりの努力を惜しまない事、Aそれぞれの努力に対して教会はそれを受け入れる姿勢を持つこと、そして@、Aはどちらも重要でおろそかに出来ないということです。
多くの意見が出た中で、このようなまとめが出来た事は素晴らしい事だなと、私は思いました。このときのために準備し、話し合いをまとめた松田康子さんにご苦労様でしたといいたいです。 一方、このまとめは、私にとって大きな課題の存在を思い起こさせました。それは、『教会活動に関して自分なりのテーマを持つ』という事です。
教会と私の関係や、教会活動の奉仕と、一般社会の奉仕との兼ね合いが自分の中で整理がつかず、教会活動に対する奉仕の動機付けがなされない私には、とても難しい問題です。いつの日か神様が私の心を動かすのだろうかと思いながら、新潟教会を後にしました。
その2
五十嵐弘美
過日行なわれた伝道フォーラムに参加させていただきました。こうした会は、会の趣旨、目的などが事前に参加者にしっかり周知、理解されていないと、思った通りに会は進行しないものだと思いますが、私たちの教会では、早くから伝道フォーラムについてのお知らせと説明がありましたので、良かったと思います。
私が参加したのは「よい奨励、証しとは」というテーマの分科会でした。私としては自分が教会学校で話す聖書のお話に少なからず問題を感じながらも取組んでいるので、何かヒントなりが得られればと期待しましたが、「現状を話し分かち合えれば」という方と、「こういう手法がいいだろう」という方とで、話の方向性が定まらず、どちらも消化不良に終わりました。
個々人の体験を聞く中にも小さな働きが発見されて良かったのですが、何やらテーマがぼけてしまいますし、「方法論」を示されてもその通りやればOKとも思えない。
全体として何か結論が形となって完成されなくてもいいじゃないかと思いました。もし自分の教会に牧師がいなくなっても、ひとりひとりが教会を支える枝の一本として、やろうとしている事に必死になれば、そしてやるだけやったら神様の奇跡に期待しようという事でいいと思いました。人間のプランなんて神様のご計画の中ではあまり意味がない気がします。
という事で、私自身が聖書とがっぷり組み合って、苦悩することから逃げないのが、何よりの証しとなるんだと確認しました。
その3
松田 康子
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30分の開会礼拝の後、それぞれの分科会に分かれて、午前中1時間半、午後1時間の討議をしました。私が担当の第2分科会には19名の方が参加してくださり、下手な司会で迷走する中、皆さんと意見交換することが出来ました。奉仕という事がテーマでしたが、それぞれに奉仕という言葉や自主性のとらえ方は様々でした。2年間の無牧の時期があった白根教会の方達は、やりたいやりたくないに関わらずそれぞれが出来る事を精一杯担うしかないと言うところで奨励なども全員が交代でやってこられたそうです。それが結果的にとてもよい訓練になった、やって良かったと皆さんが言われていたのが印象的でした。
また、「自信がない」「どうすればよいか分からない」など正直に述べられた意見に、私も同じだなあ、強がったり背伸びする必要は無く、そういう正直な自分を認めた上で、それでも一歩踏み出してみる事を選んで始めればいいはずだと改めて感じました。
各教会の状況によって活動する時の配慮なども様々でしたが、違うもの同士、お互いを受け入れて、自主性のあるところでやって行きたいというのは共通していたのではないかと思います。私たちは一人一人が担っていく存在であり、同時に担おうとしていく人を受け入れていく存在でもあるのだということを確認しあいました。
コーディネーターの準備不足という厳しい指摘もありましたが、私の場合能力不足でした。せっかく参加して下さったのにあまり意見を言う機会がなかった方、すみませんでした。その、分科会で消化しきれなかった思いをこれからも教会の中で話し合える機会があるといいなと思いました。
今回、出来る出来ないを越えて捧げるものとして担うって何だろうと考える機会を与えていただきました。それを受け入れて同じように担うものとして参加して下さった皆さん、本当にありがとうございました。