| 中風の人を癒す | 八重尾 次雄 | 「真理」って何? | 真理のTOPページへ | ||
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| 前章からありますようにイエスが歩かれるところには、嵐あり、悪霊あり、様々の病あり文字通り枕する所はありません。しかし、そこにはいつも、それらを上回る力があって、どんな難関でもきちんと解かれる力「権威」がありました。中風の人は、自分では動くことは出来ません。従って自分の足でイエスのもとに行けません。けれども、ここに中風の足となってあげる人々がいました。恥ずかしがることもなく、人を戸板の上に乗せて、イエス・キリストだけを見据えてまっすぐに進んでゆきます。イエスはこの人々の「信仰」を見ました。イエスはただ信仰のみをご覧になります。それ以外のものを見ません。服装や体格や、また人間の能力、身分、性格といったものを見ません。信仰とは何でしょう。 欠けだらけの弱い現実から目をそらさないで、自分の現実を直視して、その弱さに泣きながらも、神のゆるしと約束を信じ、無から有を実現なさる神にすがりつくことではないでしょうか。何もかも使いものにならなくなったアブラハムとその妻サラ。神の約束を信じて、行き着くところも分からないままに旅立ちました。そしてイサクが与えられました。ただ目に見えない星を見えるように歩く人生に旅立つ。これが人生における尊い宝ではないでしょうか。今この人たちの信仰は動けない人を床のまま運んでくる協力の信仰です。マルコ、ルカの両福音書では、イエスのまわりは押し合い、へし合いの人だかりで、病人をイエスの前に運ぶことが出来ません。どうにかしてイエスの前に運びたい、考えた末、屋根の瓦を取り除いて、屋根に穴をあけ、そこから病人を吊り下ろすことにして、その通りにしたと書いてあります。正面からが駄目なら、上からの道を見出したのです。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に言います。「子よ、元気を出しなさい、あなたの罪は赦される。」 この言葉は、病気の原因に、ある種の罪深い行為があると言っているのではありません。また、人間の根本的な原罪を言っているのでもありません。罪からの開放がどれほど大きな安心と力とを病人に与えるでしょう。そしてここでは、特に、一切の権威が授けられているイエスに身を委ねなさい、そのお方だけが「元気を出しなさい」と言ってくださるのです。若し私たちが、目の前の体のいやしにとらわれ、それだけが全てだと思っているうちは、一切の権威を持っているお方イエスを忘れているでしょう。しかもイエスは「今ここ」と言われます。病人は、いつも「これから」「そのうち」「今に」と思って、ただ将来の健康ばかり夢見て、今、与えられている大きな恵みを忘れています。私たちには、そのイエスの恵みを受けるためだけではなく、生きていく全てに於いて「罪のゆるし」が必要です。これ無しには生きられないのです。神から私たちが受ける全てのものは、ただ私たちを赦したもうことから来るのではないでしょうか。神が私たちの苦しみを開放されるとき、それは、私たちのほうに価値があるのではなく、私達の弱さ、罪、悪をご自身が覆い、赦したもうのです。イエスは、目に見える利益ばかりを追うご利益宗教にならないよう、インマヌエル(神が私の内にいたもう)を教え、ただ現在の肉の苦しみから逃れることしか求めない病人に、もっと深い病(罪の存在)を知らせようとなさるのです。罪のゆるしと、病のいやしが問題となります。罪のゆるしは、キリストが十字架にかからなければなりませんでした。そのくらい、罪のゆるしはほんとうに難しいことです。いやしに比べるとはるかに難しいことです。イエスは、みんなが易しいと思っている罪のゆるしの権威のあることを知らせるために、みんなが難しいと思っている「病のいやし」を行いました。 「あなたの罪は赦される」。この難しい方をなさる神が、どうしてもっとやさしい目に見えるいやしをなされないはずがありましょうか。あなたは開放されています。だから、あなたはもう自分の罪、欠け、弱さを見ないで、この神のゆるしのみを見て、それによりすがりなさい。イエスご自身、あなたの弱さや罪を見られないのだから、ただあなたの信仰のみをごらんになるのですから、あなたは今こそ神をあがめなさい。その結果どうでしょう。この病人が神をあがめただけでなく、群衆が神をあがめ始めたのです。私たちは、病によって、肉体とともに精神も病みます。それは病そのものよりも恐ろしいことです。これで駄目になるのではないかというふさぎ込みや悪い方ばかり見る思いわずらいを脱して生きたい。思い煩いは、神がしてくださることですから神のなさる領域です。しかし神に委ねることは、何事もお任せして何もしないことではありません。思い煩いは、何も積極的なことを生み出しません。手足を動かして労することは私のすることです。「信仰にかたく立つ」とは、神のしてくださることは一切神にゆだね、私のなすべきことに励むことだと思います。神をあがめます。アーメン |
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