「真理」って何? 真理のTOPページへ

神のみに仕えなさい
             八重尾 次雄                


あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。
 そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」( マタイ 6・1923 )

 人は、神によって必要なすべてのものを備えられつつ生きています。ところが、人は目に見える物に目を引かれ、神を忘れて過ごしております。天地、万物創造に際して、神は、人を神の似像にかたどって造られました。( 創世記一章 )

また、人は、世の被造物を治めることを許されています。ところが、人は、物に魂さえも奪われています。神の意図されるところとは全く逆の生きかたです。

しかし、物を人の主人として、神を忘れる人間の生き方は、あらゆる時代に共通するものでした。主イエスは、そこで主の弟子たちに対して、こう教えられました。

地上に富をたくわえてはならない

 地上のどんな宝も永遠のものではありません。高価な織物も、貴金属も、地上では虫がつき、さびがつき、傷つき、盗人に狙われることになります。今見ているものはいつまで残るでしょうか。ところが人々は、このような物を何年間か保存するために、心を砕き、不安になり、そのために人を憎み、殺人までも犯すことになります。そして、これらの物とともに、彼の魂も滅びさってしまいます。

天に宝をたくわえなさい

地上の宝を天の銀行にたくわえることではなく、霊的な神のみもとに、霊の宝、即ち、信仰、希望、愛、忍耐をたくわえよと言われるのです。この宝は、神のみ心にかなう、永遠のものであります。パウロが述べているとおりです。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。」( 第一コリント1313)

あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ 

あなたにとって、最高のものは何でしょうか。あなたが最高のものとするところにあなたの心もあるのだ。と言われます。

体のともし火は目である

肉体の中で目が無かったら、また、目が悪ければ、人は他のものを判別できなくなり、従って自分自身も分からなくなります。目は体の中で最も大切であります。目が見えないということは最高の不幸ではないでしょうか。ここでの目は、たとえの意味をもっていると思われます。肉体に目が必要であるように、人間の心の中で、澄みきっていなければなりません。心の目、これは神に対する信仰であります。神への愛そして信頼にほかありません。アブラハムが神の約束を信じて、彼がおかれた環境に関係なく、その命令全てに、ことごとく従ったように、です。

人の神に対する愛について、イエスは次のように言われております。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。」( マタイ223738) 

 このみ言葉は、「あなたの心を尽くし、あなたの精神を尽くし、あなたの思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という、あなたの語句が入ります。神と一対一のあなたでした。神はあなたの神であります。この神はわたしと相対峙して下さる神であります。
 精神は人間存在の生命、生きていることの全てであり、いのちがけとも言えるものだったのです。人間の一切をささげて、神を愛すること。いのちがけで神を愛する。ここに来たとき、私は、今までこのように神を考えたことはなかったことに気づき、はっとしました。
 このような意味があることを知り、大きなショックで身が震えるようでした。これまでも、幾たびか聞いたに違いありませんが、自分の中にはっきりと捕らえていなかったのです。吾ながら、なんと横着で閉まらない人間かとあきれました。
 しかし、常に神を忘れないで暮らすことは出来ないことかなと思います。そうであっても気持ちは、高ぶらず「忘れたくない」で生きたいのです。

「真理」TOPページへ 創世記を読む(15) ルカの福音書を読む(15) マタイの福音書を読む(15)