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ルカによる福音書を読む
             大沼 正吾


 

「アンナスとカイアファが大祭司であった」
(ルカによる福音書3章2節)

今回は前回に引き続き、神の言葉が荒野で洗礼者ヨハネに降った時の、政治的、宗教的支配者、指導者について記した箇所です。
「アンナスとカイアファが大祭司であったとき」と、同時に大祭司が二人存在したかのように記されていますが、同時に大祭司が二人存在することはなかったそうです。
 アンナスはカイアファの前任者で、しかもカイアファの「しゅうと」(つまりカイアファの義父、カイアファの妻はアンナスの娘ということになります)であったため、大祭司の職を退いてからも、隠然として力をふるっていたようです。ヨハネ181213には、「ユダヤ人の下役たちは、イエスを捕まえて縛り、まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである」と記されています。続いて、アンナスはイエスを尋問し、イエスを縛ったまま大祭司カイアファのもとに送ったと書かれています。

このように現役の大祭司カイアファよりも退役したアンナスの方が、大御所的存在として、実質的には現役のカイアファよりも影響力を持っていたようです。こうした事情を把握したルカは、大祭司が同時に二人いたという見方をしたのではなかったでしょうか。

祭祀職は世襲制だったのですが、大祭司の職はどのように決められていたのか、よくわかりません。仮に世襲制だとしたら愚かなことだと思います。日本でも、代々神主の家とか、代々寺の住職という家系はありますが、宗教が世襲制をとると必ず形骸化してしまうと思います。「儀式」だけは、うやうやしく引き継がれるのですが、大切な「信仰」の方はあいまいになりかねません。最近の寺の事情を見ていると、本当にそう思います。

政治的無関心の問題が言われ、国政選挙の度に殊に若い世代の投票率の低下が報道されていますが、宗教離れも著しく、お寺の数が急激に減っているそうです。檀家の減少もさることながら、寺の後継者不足が深刻なんだそうです。新発田は寺の多い町ですが、後継者がおらず、同じ宗派の他の寺の住職が兼務する寺が増えているそうです。「信仰」など問わない、ともかく寺を守ってくれるだけでいいのでと、後継者探しにやっきになっているお寺の住職を実際知っていますし、そうした話を耳にします。

「信仰」など外に置かれ、寺の建物とか、墓とか、檀家数とか儀式とか、目に見えるものだけを受け継いでもらえばそれで良しという感じです。

「愚かなこと」と書きましたが、自分がその立場だったらどうするでしょうか。他人事だと評論家的に「正しい」批判をするのですが、自分がそうした当事者となると案外同じようなことをやるのかも知れません。私自身も「愚か者」ですので。

「信仰」のことに少し触れましたが、自分の信仰とはいったいどういうものなのか、実は未だによくわかりません。

先週の土曜日の夕方、「エホバの証人」の信者の方が二人、訪問してきました。毎年今頃になると、二〜三人で組んで家庭訪問をしてきます。とても柔和な話し方の女性でした。「エホバの証人」の信仰は異端だと聞いてはいますが、どこがどのように異端なのかは、よくわかりませんが、自宅を訪問してきた方々は、とても柔和で誠実そうな方々でした。私は信仰の話はあまりしなかったのですが、「こうした農村を戸別訪問すると、拒否されることが多いのではありませんか、戸別訪問して歩いて疲れませんか」と聞くと、二人のうちの一人の女性が「確かに拒否されることは多いです。『エホバ』と言っただけで、『結構!』と冷たくあしらわれてしまうことも多々ありますし、一日中訪問して歩くと肉体的にはとても疲れます。でも、王国会館から強制されているわけではないのですが、戸別訪問してでも神の愛を伝えないではいられないのです」と言われました。

私は本当にその人が羨ましく思えました。その人はたとえ「正統」キリスト教からは異端とされている「エホバの証人」の「信仰」を持っているにしても、みずからの信仰に確信を持っており、自発的に戸別訪問してまでも「神の愛」を伝えないではいられない熱い思いでいるのです。

 現在の私には、そういう、人に伝えないではいられないという熱い思いはないのです。イエス・キリストと本当にまだ出会っていないからだと思います。「キリストの愛」ということがよくわかっていないのです。「愛」が理解できる前の「罪」が良く分かっていないのだと思います。わからないことだらけと言ったほうが正直だと思います。しかし、一日一日の歩みを考えてみると、やはり自分の力だけで歩んでいるのではなく、自分の力を超えたお方の御手の中で歩まされているような気がするのです。

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