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マタイ福音書を読む 荒野の誘惑(その2) 菊池 淑子
それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の上に立たせて、言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使いたちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手で支えるであろう』と書いてありますから」。イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試してはならない』とまた書いてある」。次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。そこで悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使いたちがみもとにきて仕えた。
先回は、洗礼を受け、神の子としての自分の使命を模索するイエスが、御霊によって荒野に導かれ、悪魔の第一の誘惑を退けたというお話でした。
第二の誘惑は、「もし、あなたが神の子であるなら下へ飛び降りてごらんなさい」ということでした。悪魔の意図は、「あなたは神の子です。たとえ宮の上から飛び降りても神の天使たちが支えてくれるはずです。これを示して救い主の使命を果たしたらどうですか」ということです。ユダヤ人は特にしるしを求めていたから、イエスもこれには心が動くだろうと、悪魔は考えたのでしょう。
しかし、イエスは、「主なるあなたの神を試みてはならない」と言って否定しました。悪魔の誘惑は二度までも「神の子」という特権を使わせようと迫って来ましたが、イエスは再び「人間の座」を選び取ります。
この箇所について私が持っている参考書は、「試すことを通して神の子である保証を得ることは信仰ではない。奇跡を求める人間の心は偽りの信仰である」と、言っています。このことはもっと言えば、主なる神を試みるとは、人間が神の座に立つということです。神は人間を試みる方であり、人間は試みられる者だからです。ですから、この場面でイエスが「主なるあなたの神を試みてはならない」と言って、悪魔の誘惑を退けたということは、イエスはあくまでも、「神の子」としての特権に生きるのではなく、人間として生きようとしたということではないでしょうか。
これら二つの誘惑を退けたイエスの中に、徹頭徹尾人間として生き抜いてこそ人類の罪の贖いとして自らの命を差し出すことができる、それこそが父なる神が自分に求めたことである、ということが明確になりつつあったのではないでしょうか。
第三の誘惑は、この世のすべての国々とその栄華を見せて、「もし、あなたがひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」というものでした。「地上の権威と栄華によって救い主の使命を果たしたらどうか」という誘惑がここにありました。確かに人は、もっと力があったら、もっと豊かだったら……と、この世の持てない惨めさからの救いを求めます。ユダヤの現実は特にそうだったことを知っているイエスを誘惑するには強力なワナと言えるでしょう。
しかし、イエスは、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と言ってこれも退けました。第三の誘惑では「もし、神の子であるならば」という言葉を使っていませんが、その代わり「もしあなたがひれ伏して私(悪魔)を拝むなら」と言われています。地上の権威と栄華は本来私たち人間が額に汗して獲得するべきもので、悪魔に魂を売ってまで手に入れることはまっとうなやり方ではありません。人はまっとうな生き方をしていない時、魂が荒れてゆくものです。「人間としてまっとうな生き方」とは、ふたつ心で生きるのではなく「ただ神を拝し、神にのみ仕える」ことである、第三の誘惑を退けたイエスは人間としてまっとうな生き方を選んだということができます。
この箇所について先の参考書は、「イエスによる救いは地上的なものにとどまるものではない、現世の支配によって地上の楽園を築くことではない」ということを語ろうとしていると述べています。それも正しいでしょう。しかし、その様に読んで行くと、この三つの誘惑ものがたりはイエスの救いの特色を説明するものに終わってしまいます。マタイはそれらのことも説明したかったとは思いますが、もっと根本的なこととして、イエスが徹頭徹尾人間として生きたこと、そして「罪は犯されなかったが、すべてのことについてわたしたちと同じように試練にあわれて」(ヘブル人への手紙 4:15)、その命を差し出し、私たちの罪を贖って下さったのである、と言いたかったのではないでしょうか?そのようなイエスに出会う時、人はこの世の権威や栄華では手に入れられない別の世界に招き入れられるのでしょう。
祈 り
父なる神様、私たちもまた、あなたの御子イエスがとどまった人間の座で、あなたによって解き放たれた自由な人間として、自分の決めた事にまっとうに生きて行くよう導いて下さい。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン